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水産業と観光業の融合で気仙沼ならではの新しい観光の形を目指した アサヤ株式会社 専務取締役 一般社団法人・気仙沼地域戦略 理事 「観光チーム気仙沼」リーダー 廣野一誠水産業と観光業の融合で気仙沼ならではの新しい観光の形を目指した アサヤ株式会社 専務取締役 一般社団法人・気仙沼地域戦略 理事 「観光チーム気仙沼」リーダー 廣野一誠

宮城県気仙沼市では、港町・気仙沼ならではの仕事や暮らしを観光資源とした体験プログラム「しごと場・あそび場・ちょいのぞき気仙沼」(以降、「ちょいのぞき気仙沼」)が人気を集めている。津波で水産業が甚大な被害を受けた気仙沼市は、復興計画の1つとして、水産業と並ぶ主要産業に「観光」を掲げ、観光まちづくりを推進してきた。子どもたちや市民が笑顔を取り戻し、気仙沼の新たな起爆剤となったこの体験プログラムを企画・運営しているのが地元事業者で構成される「観光チーム気仙沼」だ。リーダーの廣野一誠氏は、家業の漁業資材を扱うアサヤ株式会社の専務として多忙な日々を送りながら、会社の再建と気仙沼の観光振興に取り組んでいる。廣野氏が目指す気仙沼の観光とは―。

いつもの当たり前の仕事風景が観光客に響いた ― 「ちょいのぞき気仙沼」

Q普段の仕事場を観光資源にしたきっかけを教えていただけますか?

廣野津波による基幹産業(水産業)の被害が壊滅的で、復興にはかなりの時間が必要だったことから観光業を育てていくことになったのですが、市内にはランドマーク的な観光地がなかったんです。観光戦略に関わる人たちと考えた結果、「海と生きてきた気仙沼」を生かそうということになり、気仙沼ならではの仕事や暮らしを観光資源にしたプログラムを開発することになりました。三陸では漁業に関わる担い手育成も課題でしたので、漁業を知っていただける良い機会になるし、水産業と観光業を融合することで、両業者の一体感を醸成したいという思いもあったんです。仕事と暮らしが資源ですから、“地域を丸ごとテーマパーク化”ですね。

漁業に欠かせない「製氷業」や魚箱を扱う「函屋」での見学体験を試験的に始めたところ、子どもから大人までが驚きの声や拍手までしてくださって、とても好反応でした。手応えを感じ、本格的に開始したのが2015年です。当初は不定期開催でしたが、翌年は毎月開催、その翌年は毎週末に開催し、2018年度末で体験者数は累計約8,000名を超えました。

Q参加事業者の方たちはすんなり受け入れてくれたのですか?

廣野最初は、「日頃の仕事の様子だったら見せますけど、それ、おもしろいんですか?」という感じでしたが、連れてきた人が「この人のこういうところがすごいんだよ」「こんなこともできるんだよ」と説明すると、お客さまから「おーっ!」と反応がある。そうすると、「これ、別に普通なんですけど…」なんてやり取りもありました(笑)。普段の当たり前の仕事風景が、観光客からすればおもしろいと感じてもらえるということがとても新鮮でしたし、現場の人たちも楽しませるとか喜んでもらうために何かをするということは苦ではないのでしょうね。皆さんがそれぞれに工夫してプログラムを充実させています。
もともと気仙沼には「おもてなし文化」みたいなものがあるんですね。外の漁師さんが気仙沼に入港して魚の水揚げをするときもあるし、気仙沼へのアクセスは決していいほうではないので、わざわざメーカーさんが営業にいらしてくださることもあって、外の方と交流することが多かったんです。外の人が来たら気仙沼のことを話して、自分たちのこともきちんと開示するといった文化があったので、気仙沼の人間性というか市民性みたいなところは観光業のうえでプラスに働いていると思います。

Q具体的にはどのような効果がありましたか?

氷屋体験(ちょいのぞき気仙沼)

廣野「ちょいのぞき気仙沼」が少しずつ話題となり、メディア取材や他県の観光協会・自治体からの視察が増えたので、参加事業者の会社のPR効果は大きかったと思います。ネットワーク拡大にもつながり、新たな協業のきっかけも生まれました。現場の人たちにとっては日々の仕事を見てもらえることで仕事への誇りも生まれ、モチベーションの向上にもつながっています。
また、“新しいことに挑戦している会社”というブランディング効果もあり、地元高校生の新卒採用にもつながり、観光業だけでなく地元事業者の活性化などさまざまな効果がありました。回を重ねることでプログラムの品質も向上し、アンケートの参加者満足度は5点満点中4.5でした。

帰郷して、家業と漁業に初めて正面から向き合った

Q2011年の東日本大震災のときはどちらにいらしたのですか?

廣野東京で仕事をしていました。家業を継ぎたいという思いもあり、いつかは気仙沼に戻るつもりでしたが、大学卒業後は東京のIT企業に就職しました。経験を積んで何かを身につけてから帰りたいと思っていたんです。その後、広告関連の仕事をしていましたが、自信がついたら帰ろうという感覚でいるといつまでも自信がもてないし、踏ん切りがつかないでいました。
東日本大震災が起こったのは就職して7年目のときです。幸いに家族は無事でしたが、家は浸水し、社屋は流され、「とんでもないことが起こってしまった。」と途方に暮れました。でも、すぐに実家に戻る決断ができず、いま帰って何ができるのか、かえって迷惑をかけるのではないかと躊躇してしまったんです。帰省はしていましたが、東京で経験を積んで家業に貢献できる人材になろうと実家に戻ることを先送りにしていました。でも2013年の夏に帰省したとき、瓦礫の撤去が進んで更地になった光景を見て、自分は本当に一大事のときにいなかった、何も貢献できなかったというのを思い知って後悔しました。早く帰って気仙沼の復興をやろうと決めたのですが、既に結婚して子どももいましたので、まずは住まいを確保し、仕事を引き継いでから2014年12月に帰郷したんです。

Qご実家は江戸末期から続く漁具資材会社ですが、帰郷されてどのような仕事から始めたのですか?

アサヤ会社案内
「2018日本BtoB広告賞 企業カタログの部」金賞受賞

廣野子どものころは会社のことに触れたことがなく、倉庫にある漁具は初めて見るものばかり。漁業のことも詳しく知らなかったので、「三陸の漁業はこうして営まれているのか」「この網でタコを捕るのか」などと興味深く、社員の皆さんからいろいろ教えていただきました。一方で、戻ったはいいけど何をしていいのかわからない無力感もありました。いまの社屋は2013年に完成したのですが、震災後しばらくはプレハブやコンテナハウスで社員の皆さんが仕事をしていたので、大変な環境のなかで本当に頑張っていただいていると思ったら、余計に自分は何ができるのか、出る幕がないというのが正直なところでした。

自分にできることといえば東京で経験したITや広告のこと。それで会社の広報的な活動を少しずつ始めました。その当時は会社のホームページもしっかり作れてなく、パンフレットもなかったので、会社のことを知ろうと思ってもぜんぜんわからなかったんです。この会社は歴史が長いので良い面もあるのですが、取り引き先が旧知の仲なので会社紹介が不要な環境でした。いざ新しく何かをはじめようとしても伝えるツールもないし、“漁業資材会社“というのは「アサヤ」の字面からは伝わらない。また、地元の若者のなかには漁業のことを知っている人が少なく、担い手も少ないという課題があったので、アサヤをしっかり発信していく必要があると思ったんですね。

観光への取り組みは、気仙沼を改めて知るための入門編

Q実家のお仕事も大変ななかで、「観光チーム気仙沼」に関わったきっかけは?

廣野人脈もつくりたかったので、東北未来創造イニシアティブ主催の人材育成道場「経営未来塾」というのに参加したのですが、講師の方々のなかに気仙沼の観光戦略のために東京の民間企業から出向して来られた方がいて、その方に声をかけていただいたのがきっかけです。「“観光チーム気仙沼”で一緒にやろうよ」って。そのタイミングで「廣野君、リーダーやらない?」みたいな(笑)。年齢も30歳を超えていて、東京でいろいろ経験してきただろうというのもあったと思いますが、私も興味がありましたし、気仙沼の魅力的なところを発信していきたいという思いもあって参加させていただきました。

Q観光業にはもともと興味があったのですか?

「漁具屋体験」で自ら説明する廣野さん

廣野初めて漁具について教わったとき、自分自身がすごくおもしろかったんです。漁具の数は
3万点以上もあるのですが、一般的にはほとんど知られていません。「三陸の漁業はこういう道具を使ってやるんだよ」というのを多くの人に伝えたいと思いましたし、気仙沼らしくて観光客にとってもおもしろいのではないかと思っていました。ご縁があって観光チームに声をかけていただいたときに、アサヤに興味をもってもらえる機会だと思ったのが大きなきっかけかもしれません。漁業界や自社の課題を考えたときに、観光はいいツールかもしれないと。自分自身も気仙沼に帰ってきて知らないこともあったので、観光への取り組みが自分にとっては入門編としてちょうど良かったと思います。漁業のこともアサヤのこともいろいろな発見がありました。

「ちょいのぞき気仙沼」で漁具屋体験をはじめて、社員の人たちは「専務がなんか変なコト始めたな」って思っているかも(笑)。ただ、会社のPRはいまのアサヤに必要なことだというのは理解されていたので「専務なりのやり方で取り組んでいるんだね」という見方をしていただいていると思います。もうちょっと現場のことを知ってほしいなぁと思っているかもしれませんが(笑)。

課題解決のカギは、チームのメンバーがブレないための指針

Q「ちょいのぞき気仙沼」をはじめて4年程経ちますが、観光チームが抱える課題はありますか?

そば打ち体験
(ちょいのぞき気仙沼)

廣野「ちょいのぞき気仙沼」のプログラムとほかの観光コンテンツとの接続ですね。プログラム数は増えていますが、仕事場なので「いつでもどうぞ」というわけにはいかず、事前予約制のため、気仙沼に来たついでにちょっと体験したいと思ってもできない。いま気仙沼に来てくださっている観光客の方たちは、3月オープンの「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」や、4月に開通した「大島大橋」を観たいとか、ドライブやバイクツーリングで楽しみたいという方が多いので、こういった観光客の方や気仙沼にフラッと来てくださった方にも案内できるような体制をつくっていくことも必要だと思っています。また、視察などの団体客に比べ、個人客の方は地元や近隣の方が主なので日帰りケースが多く、宿泊客を増やすことや新規顧客の開拓も課題です。「ちょいのぞき気仙沼」は、暮らしを体験できる“あそび場”として、「サメの歯のキーホルダー作り」「そば打ち体験」などもあるのですが、“しごと場”やこれらを組み合わせても旅のメインコンテンツにはならず、宿泊の必然性には弱いんです。気仙沼全体のコンテンツを組み合わせて、気仙沼の食、買い物、プログラムを存分に楽しめるツアー造成が必要だと思っています。

Q仕事場体験の現場の方たちはいかがですか?

廣野開始当初の頃に比べると熱気も落ち着いてくる時期ですし、モチベーションも少し下がってきているかなと感じています。体験プログラムの開催頻度が増えることで本業への負担も生じてしまい、気持ちも疲弊してしまいます。

今年、ある地域の工場見学を視察したのですが、事務局の方から「みんなでたくさんアイデアを出し合って、すごく忙しいのに楽しそうにやっている」と聞いて、何故なんだろうと。その工場では大々的なイベントを開催しているので数日間で数万人という来場者があり、見学後にはお土産の購入もできるのでしっかり売り上げがたっていて、生計が成り立っているんです。ヘトヘトになるくらい忙しいのに、それでも「楽しいからやっている」と聞いて、それがすごく刺激的でした。「ちょいのぞき気仙沼」は、プログラム単体で利益を生み出すような事業にはなっていません。参加事業者は、それぞれが本業を持っているので観光業で生計をたてていこうとは思っていないんですね。“仲間と一緒に活動することが楽しい”とか、“気仙沼のことが好きだから良さを伝えたい”などの純粋な思いや、“自社の広報につなげたい”などそれぞれの思いがあって参加しています。でも、気仙沼が目指す観光目標に向けて協力したいという思いもあるので、この工場視察を機に、参加事業者たちが活動していくうえで必要なことを整理しました。

Q具体的にはどのような整理をされたのですか?

廣野自分たちが迷ったときにブレないよう、指針となるコンセプトとステートメントを決めたんです。コンセプトは、「気仙沼ならではの、仕事、文化をちょいのぞき」。気仙沼の暮らしや自然など全部含めて“文化”を使いました。ステートメントは5つ。

1つめは「ちょいのぞきは、気仙沼を愛します」。チームにはすごく気仙沼を好きなメンバーが集まっているので、“気仙沼のために何かやりたい”とか、“今度は気仙沼のこういういいところを見せてあげたい”という思いが強いので、それを言葉にしました。
2つめは「ちょいのぞきは、プロ意識をもって、価値を提供し続けます」。質を向上させ、その価値を提供して対価をいただき、事業として継続していくことを掲げています。やはり、「無償でなんでもやります、お見せします」では観光事業にはなりません。対価をいただくからにはクレームには真摯に対応したいし、改善してもっと喜んでいただける状態を目指したいと思っています。
3つめは「ちょいのぞきは、憧れの存在を目指します」。これは子どもたちに仕事場を見せて、「函屋さんてカッコいいね」とか、「そういう箱に入って気仙沼からおいしい魚が届いているんだね」とか、少しでも仕事に興味を持ってもらえるよう、子どもたちの憧れの存在になりたいという思いを掲げています。
4つめは、自分たちの取り組む姿勢の内規のような位置づけですが、「ちょいのぞきは、明るく楽しく前向きに挑戦します」。いままで活動してきたことをただ単に続けるのではなく、アイデアを出し合って前向きに挑戦していこうという思いです。
5つめは、異業種の仲間が集まって一つの目的に向けて改善を繰り返していくこの集まり自体がすごく楽しいと思えるので、「ちょいのぞきは、仲間との連携を大切にします」。この思いに共感してくれる人がどんどん仲間になって欲しいと思っています。

“市民による市民のための観光業”- 大切なのはヒトとヒトとのつながり

Qこれから廣野さんが目指す、気仙沼の観光とは?

廣野やはり、アサヤの事業は漁業者がいてこそですから、漁業に興味を持ってもらえる観光をアサヤの事業とつなげて継続していきたいですね。最終的に目指すことは、観光で気仙沼が経済的に潤うこと、宿泊施設や飲食店、物産店などの域内消費が拡大されていくことだと思っています。マーケティングでは、買い物や食事などでポイントがたまる「気仙沼クルーカード」を発行し、データを活用しています。顧客動向やニーズを把握し、リピーター増、消費額増につなげたいですね。消費につなげるという点では、当社で通信販売サイト「気仙沼さん」の事業を引き継ぎ、運営しています。気仙沼ならではの魚介類や菓子など、気仙沼の魅力を全国にお届けしているので観光にもつながっていけばいいと思いますが、まだまだこれからですね。

観光は移住を考える人にとっても良いきっかけになると思うんです。人事採用面を考えても、“気仙沼という町に住みたい“という思いのある人でなければ難しい。観光を通じて「おいしい魚もあるし、人も温かいし、いい場所だね」と、気仙沼を好きになっていただけたらうれしいです。

Qまちづくりで一番大切なことは何だと思われますか?

廣野人と人とのつながりですね。震災後は、社員の人たちの必死の頑張りや、全国からのご支援があっていまがあります。たくさんの方々にお世話になっていますので、やはり恩返しをしていきたいと思います。震災以前は、“観光業者による観光業者のための観光業”でしたが、いまは、“市民による市民のための観光業”に変わりました。「観光チーム気仙沼」はそれぞれの想いに共感して集まった地元事業者のチームなので、コミュニケーションをとりながらも程よい距離感を保ち、それぞれの持ち場で努力していけば自ずと良い結果につながっていくと思っています。

「ちょいのぞき気仙沼」は、当初は東京の民間企業から出向して来られた方々が中心でしたが、開始翌年からは「観光チーム気仙沼」の我々が企画に主体的に関わって運営しています。ただ、地元の人たちだけでは遠慮がでてしまうこともあるので、出向して来られた方の存在は大きく、良い影響をいただいています。彼らは、“気仙沼の観光を成功させる”というミッションをもっていますので、ビジネス目線で気仙沼というフィールドに観光業の目標を立て、「このKPI、ちゃんと達成しよう」って。結果として甘えのないビジネス面を引き出してくれるので、地元の人たちと出向して来られた方の考えがうまく交わっていくことで、新しい気仙沼の観光が進んでいくのだと思います。チャレンジを続けていくためにも、人と人とのつながりは大切ですし、一緒に気仙沼を盛り上げていきたいですね。

(2019年5月インタビュー)

  • 魚市場体験(ちょいのぞき気仙沼)

  • 魚市場体験(ちょいのぞき気仙沼)

  • 安波山から望む気仙沼市

  • 「大島大橋」(2019年4月開通)

受賞歴

〔しごと場・あそび場 ちょいのぞき気仙沼〕

  • 2017年 宮城県 観光王国みやぎ「おもてなし大賞」受賞
  • 2017年 復興庁 「新しい東北」 復興・創生顕彰受賞

profile廣野一誠(ひろの・いっせい)
アサヤ株式会社 専務取締役
一般社団法人気仙沼地域戦略 理事/「観光チーム気仙沼」リーダー/気仙沼さん株式会社 代表取締役社長
宮城県気仙沼市出身。小学校までを気仙沼で過ごし、中学・高校は大阪、大学からは東京で過ごす。大学卒業後、東京でIT企業や広告関係の会社に勤務。2014年12月に気仙沼へUターンし、家業の漁具資材を扱うアサヤ株式会社(1850年創業)に入社、2016年専務取締役。2015年から「観光チーム気仙沼」のリーダーとして気仙沼の観光を牽引。2016年11月から通信販売サイト「気仙沼さん」の事業を引き継ぎ、運営する。
アサヤ株式会社
気仙沼さん株式会社

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