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地域は「人」が主役 みんなと一緒にかいた汗こそ地域の財産 鹿児島県鹿屋市串良町柳谷地区 自治公民館長 内閣府地域活性化伝道師 豊重哲郎 地域は「人」が主役 みんなと一緒にかいた汗こそ地域の財産 鹿児島県鹿屋市串良町柳谷地区 自治公民館長 内閣府地域活性化伝道師 豊重哲郎

住民総出で地域づくりの自主財源を確保し、行政に頼らない住民自治を実現した鹿屋市の柳谷集落(通称やねだん)。鹿児島県大隅半島のほぼ中央に位置する人口300人程の小さな集落だ。20数年前は若者離れや高齢化が進み、消滅危機にあったこの集落を、「奇跡の集落」として蘇らせたのが、柳谷自治公民館長の豊重哲郎氏だ。1996年に55歳で就任後はリーダーシップを発揮し、さまざまなアイデアと行動力で住民と共に地域づくりを実践。諸事業による集落の収益金は、高齢者の福祉や子どもたちの育成などに活かされている。その活動は注目の的となり、全国から訪れる視察者は年間約5,000人。“地域再生のカリスマ”といわれる豊重氏がこだわる幸せな地域づくりとは―。

やねだんの歴史を伝え続けるために―。ポイントは集落に暮らす子どもたち。

Q公民館の広場には集落のみなさんが手づくりされたものがたくさんあるそうですね。

豊重このステージも廃材を利用してみんなでつくりました。置いてあるピアノもテーブルもぜんぶ寄贈されたもの。ピアノは昭和初期のものだそうだけど、乾燥剤を入れて、手入れして使っています。集落の演芸大会やイベントがあるときは絨毯を敷いて舞台にするし、子どもたちや高齢者の人がウォーキングするときの休憩所にも使っています。みんながここで寝転んで遊んで、健康器具を使って足腰を鍛えているわけ(笑)。自由に何をしてもいいし、いつ誰が使ってもいい。みんなの「憩いのステージ」だからね。この壁画は、柳谷集落(以降、やねだん)に移住してきてくれたアーティストに描いてもらったもので、薄いベニヤ板を6枚つなげてあるんです。テーマは「やねだんから宇宙へ」。子どもたちが、世界に、宇宙に羽ばたくようにってね。

この中にあるのは「半鐘(はんしょう)」といって、昭和30年代ごろまで火事のときや何かを知らせる合図に使っていたものです。ずっと保管してあったので、「令和」という新しい時代になる記念にきちんと残しておこうと考えてね。やねだんがずっと昔から令和まで歴史をつないできている集落だということが、誰が見てもわかるでしょ。屋根付きのこれも手作りです。中にある説明の文字は子どもたちが書いたんです。上手下手は関係なく、集落の記念事に子どもたちが参加すれば、「うちの孫がこれを書いたんだよ」って家族が自慢したくなるでしょ(笑)。

Q手づくりする場に子どもたちが参加することに意味があるんですね?

豊重そうです。この広場の特徴が、「青少年よ 羽ばたこう世界へ」の大きい文字。小学生から中学生の子どもたちが、ベース板の凹凸を考えながらシール紙を鉛筆で型取り、くり貫いた文字を貼り付けているんです。ただ書いてあるだけじゃないんですよ。半鐘の説明もそうだけど、子どもたちの出番をつくってカタチにすればこの集落の素敵なストーリーになるでしょ。公民館やこの広場をみんなのコミュニティの場にして集落の歴史や軌跡を残し、次の世代にバトンタッチしていけば、いつの時代にもずっと伝え続けられますからね。集落というのは変化するだけではダメで、その変化を歴史として100年くらいは残していく必要があるんです。以前は高齢者が語ることはあっても書も何も残っていなかったので、どういう集落だったのか何もわからず苦労したんですよ。でも、こうして残しておけば、100年経ってもここは大丈夫だよ、ってね。

みんなでかいた汗こそ地域の財産。地域づくりの原点は現場にあり!
―「義理人情の地域づくり」

Q住民たちでつくることにこだわったのはどのような理由からですか?

豊重子どもから高齢者まで、みんなが協力し合ってつくると完成したときの感動が大きいんですよ。一緒に汗をかくことで絆ができるし、子どもたちにとってこういった経験が成長過程でものすごく大事。若い人たちは労力があるし、高齢者は知恵と経験がある。子どもたちは一生懸命大人の手伝いをする。木材が必要といえば、山を持っている人が提供してくれたり、集落には大工や左官業もいる。家に不用品があれば寄付するとか、みんなが何かしらに関わって助け合いながら活動することが、この集落のストーリーだし歴史になります。地域の活力源は「人」だから、やねだんの住民は全員がレギュラーで、補欠はひとりもいないんです。一人ひとりが地域づくりの主役です。

Qみなさんで一緒に汗をかいて、よかったなぁと感じるのはどのようなときですか?

住民が手づくりした「柳谷 わくわく運動遊園」

豊重やっぱり集落に笑顔がたくさんあることですよ。以前は、他人に興味がないというか、挨拶もしないとか、集落が明るくなかったんです。みんなが気軽に集まれる場があればいいと思って、自分たちでつくろうと提案したのが運動遊園。工場の跡地で雑草がすごかったので除草作業から始めましたが、それだけでも絆は生まれるんです。完成したときは、私にもみんなにも「やればできるんだ」という自信がつきました。ここはみんなの憩いの場です。公民館の広場にも運動遊園にもゴミ箱はひとつもないし、注意の貼紙もない。何故なら自分たちでつくった大切な場所だから、子どもたちもゴミはちゃんと持ち帰るんです。これが「義理人情の地域づくり」というもので、地域づくりの原点は現場なんですよ。いまでは義理人情という言葉すら聞かなくなったし、義務教育者も言わなくなった時代でしょ。でも子どもたちは5~6歳ごろまでは地域のなかで義理人情を知ることが大事。親や高齢者たちと一緒に作業して、助け合う。地域づくりの基本的な細胞のスタートですね。みんなで一緒にかいた汗、これが地域の財産です。

地域でできることは住民たちでやる。それが、持続可能な地域づくりのスタート。

Q行政に頼らず、自分たちの手で地域づくりをしようと考えられたのは何故ですか?

「活動パネル館」に掲示されている活動記録

豊重補助金頼りでは人も地域も育たないからですね。公民館長に就任したときは、何かをやろうと思っても活動資金がなく、とにかく財源をつくろうと考えました。最初の2年間は「土台づくり」で、一緒に汗をかくことで感動を分かち合う「感動と感謝の地域づくり」がテーマ。12名の高校生クラブを作り、住民を巻き込みながらいろいろとやってきました。いまはこういった文化が少しずつ認められてきたのかなって思います。地域は文化力のムードをつくらないとイベントで終わってしまう可能性が高い。イベントになるとスポンサーが必要になって依頼心が強くなるから、スポンサーがいなくなれば活動ができなくなるし、自分たちで何とかしようとしなくなるから何も継続できなくなる。行政の補助金に頼っていては、地域づくりはできないんです。だから行政に頼らずに地域をつくる。そのためには何をするのか。「人づくり」ということです。

Q最初に住民のみなさんに「一緒にやろう」と声をかけたときの反応はいかがでしたか?

豊重もともとこの集落には、「結(ゆい)活動」の習慣があったんですよ。例えば、やねだんには墓地が4カ所ありますが、小学生は夏休みになると草取りをしたし、農作業では子どもたちも大人たちと一緒に苗を植えたり配ったり、雷がなってもやって、みんなが「共同体」という体験をしてきている。そういう地盤が昔からありましたから、「こういうことをやりましょう」と提案したときは、よほどの人でない限りノーは言わないですね。子ども時代のいろいろな体験がいい思い出になっているんです。伝統の継続ですね。もちろん反目する人もいます。でも最終的には参加してくれましたね。

Q否定論者を振り向かせるのは難しいですよね?

 高校生による「感動のメッセージ放送」

豊重そうでもない(笑)。わたしは、「感動と感謝の地域づくり」をやろうと言い続けてきました。それで始めたのが、有線放送を活用した「感動のメッセージ放送」。毎年母の日、父の日、敬老の日に、離れて暮らす子や孫たちから届くメッセージを高校生が代読するんです。集落の全家庭に流れますから、始まるとスピーカーの前でみんな涙を流しながら聴いている。「お父さんはわたしの自慢だよ」とか、「長生きしてね」っていろいろな想いをメッセージにして送ってくれるから、代読する高校生も泣けちゃう。それで反目していた人も娘さんからのメッセージを聴いて、涙を流しながら「哲郎、ありがとう」って。感動すると人は動くんです。心を揺さぶられるから。みんなで活動して感動と感謝を呼び起こすことが地域の力であり、文化力。文化力は人がつくりあげるものだから、地域力は人、人はタカラ(財)、人財ということなんです。

持続可能な集落のポイントは何かと言えば、金欠病対策でもなく、補助金でもない、基本は「人」。やねだんという集落で人が継続して生まれ変わり、再生してつないでいくというものです。ひ孫までの4世代家族が集落に15~20世帯できたら150人程はぜったいに崩壊しないでしょ。持続可能なやねだんをつくるというのは、人財育成をやることなんです。そのためには、まずは自分たちでできることは自分たちでやる。それが日本の細胞の活性化ですよ。行政を否定しているのではなくて、地域の細胞にある「不満・不便・不利」というのを拾い上げ、自分たちで解決するために提案し、みんなで汗をかき、それでも能力が不足してできないときに行政なんです。スタートは行政に頼らない、頼りすぎてはダメということです。

自主財源の確保に必要なことは、住民総力戦で本気で汗をかくこと―。

Q住民のみなさんが「その気になる」ための秘訣はありますか?

柳谷人口予想やグラフはすべて豊重さんの手書き
(柳谷自治公民館内)

豊重みんなで活動して何を目指すのか、具体的な目標を共有することがポイントだと思いますよ。わたしの目標は、集落が失くしていたいろいろなものを5年で再生すること。でも、再生というと“守り”になってしまうから、みんなには「今後はグローバルな社会になるし、5年後10年後は国のモデルになるような地域の創生を目指そう」と伝えました。ただ、どういう提案をしても最初は8割の人が無関心。でも3年かけて8割の人が動き出したら満点でしょ。この8割を動かすには、「目配り、気配り、心配り」で、みんなの出番をつくってあげることなんです。基本は、企業感覚をもった「地域経営」。地域は会費制もどんぶり勘定もダメ。住民総力戦で本気で取り組み、納税もやる、国税局が認める帳簿管理をやるって話しました。だから、やねだんはみなし法人で確定申告をして納税までしている町内会なんです。公民館長になったときに、10年後20年後の集落の人口分布や推移表を作って公民館のなかに貼りだしてあります。みんなが危機感を持つためにね。危機管理(笑)。

Q最初に手掛けた収益事業が「さつまいも栽培」だそうですが、ご苦労されたこともあったのでは?

カライモ栽培に汗を流す高校生たち(1998年に生産活動を開始)

豊重やっぱり、その気にさせることと人集めかな(笑)。何かをするにはお金は絶対に必要。でも、補助金に頼ると長く続かないから、活動資金をつくろうと思って提案したのが「カライモ(さつまいも)栽培」です。集落営農で収益をだそうと計画しました。カライモは災害に強く、農家から苗を安く入手すれば経費はほとんどかからない。高校生たちに、「収益が出たらオリックスのイチロー選手の試合を観に行こう」と誘ってね(笑)。人手が足らずに四苦八苦していたら、見かねた人たちがどんどん手伝ってくれるようになったんです。初年度は35万円の収益がでたので、福岡ドームへイチロー選手の試合を観に行きました(笑)。その後は、家畜ふん尿の悪臭対策として土着菌をつくったり、さつまいもで焼酎「やねだん」というプライベートブランド商品もつくりました。活動開始の10年目には余剰金から集落のみんなに1万円ずつボーナスを出したんです。みんなで稼いだお金だからみんなに還元すれば、稼ぐことや集落で共存することへの意識が高まるでしょ。でも、みんなが「ボーナスは1回で十分。これからは集落の福祉や寺子屋に使ってほしい」って。泣けるよね、ホントに。企業は人なり、地域も人なり。やっぱり人財。

地域は社会教育の受け皿。豊重方式の教育は「EDUCE」(引き出す)。

Q「寺子屋」を始められたのはどのような想いからですか?

豊重学校の勉強についていけず、非行に走っている子どもたちがいたんですね。それで無料の寺子屋をやろうと思ったんです。寺子屋というのはわからないところを気づかせてあげる場なんですよ。学びのスタートは目標に近づけることではなく、わからないところを発見してあげること。IQの高い子は放っておいてもできるけど、例えば、「ぼくは、国語は得意だけど算数はダメなんだ」という子がどこでつまずいているかがわかれば、時間がかかっても1歩ずつできるようになる。地域というのは社会教育の受け皿なんです。

小学生時代に寺子屋に来ていた子がUターンしているんですけど、いまは自分の子どもを寺子屋に通わせているんですよ。こういうの、ホントうれしいよね(笑)。0~14歳の子どもが1割いなければその地域は存続できないし、子どもを増やすためには、集落を出て行った子どもたちが子育て世代となったときにUターンしてくることが重要なんですね。そのためには子どもの頃に「やねだんに生まれて良かった」とか、「やねだんでの暮らしは楽しかった」って、思い出や充実感を如何に持てるかなんですよ。この3~4年で12組がUターンしていて、やねだん生まれの子が増えているんです。1家族3人前後とみて、1年で4~5人の高齢者が亡くなったときに、1家族がU ・Iターンしてくれば、人口は減ってはいくけど次が若返るってことでしょ。人口の中味を変えていくのが重要で、これがサスティナブル。持続可能な集落とは、やっぱり人が主役。人なんです。

Q豊重さんは公民館長になられる前から「教育」に興味をお持ちだったんですか?

豊重もともと学校の先生になりたかったんですよ。銀行員になる前ね。子どもには10歳頃まで「ギャングエイジ」といって、ひとりではできないけど集団でなら何でもするという時期があるんです。集団行動のなかで自分が何をすればいいかというのを考えられるようになる大事な時期。自分で考えて自分で行動して自分で汗する、この習慣をこの時期に蓄えないと、大人になったときに他人に依存するようになってしまう。10代は感情が育まれる年代でしょ。2~3人いればどんなに小さな子でも勇気がでる。チャレンジを覚えること、心が変わること、そのこと自体が教育です。
それから、大事なのは「EDUCE(エデュース)」、引き出すことです。「EDUCATION」は教育ですけど、「EDUCE」は引き出すことで、わたしが考える教育の言語。如何に能力や経験、アイデアを引き出してあげるかというのがわたしの仕事だと思っています。地域活動はできる人たちだけでやっても長続きしないし、感動もありません。人財育成に必要なのが「EDUCE」です。

地域経営のリーダーは、100語るより1歩動け!論者でなく自らの汗で語れ!

Q「故郷創世塾」について教えてください。

豊重もともとは鹿児島県の行政の方たち向けに始めたんです。「豊重さんの地域づくりを教えてほしい」と要請を受けて。それが2007年。行政の方が視察にくると、「うちの町内会ではそこまで自主財源確保のためにできない」とか、「人がいない」って言われますが、人がいてもストーリー性がないと長続きはしない。こういったことをマネージメントできるリーダー育成が日本では一番大切だと思っています。この13年間で1,100名が卒塾しました。個人で申し込む人もいるし、行政や会社の研修でくる人もいます。行ってこいと言われて義理でね(笑)。でも、3日間いれば本気度がわかりますよ。夜10時になっても本気の人は前のほうに座って眼に気合が入っていますからね。

Q講師にはどのような方がいらっしゃるのですか?

豊重卒熟生や現場の人、集落の高齢者ですね。特に戦争体験者は出番が多い。やねだんには戦争体験者が4人いて、現在は95歳の方が1名いるんですね。こういう方は日本の図書館役です。高齢者は出稼ぎ経験とか、化学肥料を使わない時代に自分たちでオーガニック的な食材を無農薬でつくっていましたから、そういった経験や体験話はとても価値があるんです。化学肥料が出てくる時代以前の高齢者がいなくなってくると、自然農業の土づくりは微生物からよっていえる人が日本中でいなくなる。だから、そういった人たちから才能や知識を引き出すことが大事なんです。「EDUCE」です。

Q地域経営のリーダーに必要なこととは何でしょうか?

豊重100語るより1歩動け!これが地域経営者。論者ではダメ、「汗で語れ!」ということです。頭で考えているだけで行動しない人は信頼されない。リーダーは、威張るな、天狗になるな、です。人は心を揺さぶられれば聞いてくれるし動くんです。何かあれば責任をとり、信頼されるリーダーにならないと後継者も育たないんですよ。イエスマンではとてもじゃないけど人を動かせない。人は利己的に考えることがたぶんスタートなんです。「私の、私が、私を」って。でも、如何に他人を最優先できるかという企画する力を持てば、相手のことまで洞察する力も備わってくる。この利他主義がね、日本には本当に少ないですね。大抵の人がまずは自分ですから。リーダーは他人のために自ら動いて、利他的じゃないと人はついてこない。人間力が必要。地域経営というのは、行きつくところ「衣食住」がテーマで、目的は幸せな地域、幸せなやねだんになること。幸せプロジェクトですからね(笑)。

利他的な人財育成で、地域の「円満な輪」をつくる―。

Qここまで地域を再生されてきた豊重さんがバトンタッチする後継者というのは考えていらっしゃいますか?

豊重もちろん。わたしはかつて中学校のバレーボール部で指導していたことがあるんですけど、その時の教え子で、いま53歳。彼は、高齢者が体験してきたこと以外すべてを経験させてきているから、ぜんぶわかってくれているし、故郷創世塾の講師もしていて安心して任せられます。後継者育成というのは、言葉ではみんな簡単に言いますけど、ポイントはそのパートナーが了解するかしないか。本人は、まだまだという気持ちもあるみたいですが、集落のみんなは「次は彼だよね」って思っている。ちょうど一年ほど前、一緒に新聞の取材を受けたんですが、その時に彼が何を話したかというと、「自分が引き継いだら、公園の一角に共同墓地を整備して、管理できない人のためにも住民が管理して守っていきたい」って。あ、わかってるな、って思いましたよ。それから、焼酎以外のやねだんのブランド商品を創りたいって。彼は集落の財源を考えてくれているんです。頼もしいし、楽しみですよ(笑)。

Q地域づくりに大切なこととは何だと思われますか?

豊重やっぱり人が主役にならないとね。自分が主役になるのではなく、他人が主役。利他的な人財育成をやることですね。地域を育てるためには、他人を最優先に考える利他的なムード作りしかない。「ここまでは俺がやったんだよ」という感覚では利己的になりますからね。利他的な地域づくりは「目配り気配り心配り」で、無視される人もいない、反目する人もいない、「円満な輪づくり」というところがポイントだと思いますよ(笑)。

(2020年2月インタビュー)

  • 柳谷自治公民館内

  • 土着菌の製造・販売(家畜ふん尿の悪臭対策)

  • 開発したプライベートブランド商品:焼酎「やねだん」

  • 「やねだん芸術祭」
    公民館広場の「憩いのステージ」ではさまざまなイベントが行われる。

  • 空き家をリフォームした宿泊施設「迎賓館」

  • 手づくり噴水。夏は子どもたちの水遊びの場にもなる。
    (わくわく運動遊園内)

  • 東日本大震災の被災地(仙台のNPO)に運搬車として「やねだん号」を寄贈(2011年)

柳谷集落(やねだん)の主な活動と収益金の活用

〔柳谷集落の住民たちによる主な活動〕

  • 1997年 わくわく運動遊園建設
  •      感動のメッセージ放送開始
  • 1998年 自主財源確保に向けた集落営農開始(さつまいも栽培)
  • 2001年 家畜ふん尿の悪臭対策として「土着菌」製造・販売
  • 2002年 畜産ふん尿・生ごみの対策拠点「土着菌センター」建設
  •     「お宝歴史館」建設
  • 2004年 栽培したさつまいもでPB商品の焼酎「やねだん」製造・販売
  •     「柳谷未来館」建設
  • 2008年 やねだん芸術祭開始
  • 2009年 韓国に「居酒屋やねだん」オープン
  • 2011年 わくわく運動遊園内に噴水建設
  •     風力発電設置
  • 2013年 「子宝観音」建設
  • 2016年 柳谷自治公民館リフォーム

〔自主財源による収益金の主な活用〕

  • ・町内会費7000円から4000円へ減額(年間)
  • ・余剰金から集落全戸に1万円ボーナス支給
  • ・緊急警報器設置(介護・防犯・孤独死対策)
  • ・高齢者にシルバーカート貸与
  • ・小中学生対象の「寺子屋」開設・運営
  • ・空き家対策
    (整備した空き家を「迎賓館」と名付け、芸術家の移住誘致)
  • ・わくわく運動遊園に健康器具設置
  • ・東日本大震災被災地(仙台市)に軽ワゴン車「やねだん号」寄贈

集落の活動拠点「柳谷自治公民館」

受賞歴

柳谷集落(やねだん)

  • 2002年 第8回日本計画行政学会「計画賞」最優秀賞
  • 2004年 「立ち上がる農山漁村」モデル地域 全国30選に選定
  • 2005年 半島地域活性化優良事例(国土交通省)
  •      MBC賞(南日本放送)
  • 2006年 ムラと自然の再生賞(農林水産省)
  •      南日本文化賞(南日本新聞社)
  •      県民表彰(鹿児島県庁)
  • 2007年 総務大臣表彰
  •      内閣総理大臣賞(あしたのむら・まちづくり活動賞)
  • 2010年 山村力コンクール審査委員会長賞
  •      オーライ!ニッポン大賞審査員会長賞
  • 2016年 第4回プラチナ大賞「プラチナ特別表彰」
  • 2019年 平成30年度ふるさとづくり大賞最優秀賞(内閣総理大臣賞・総務大臣表彰)

profile豊重哲郎(とよしげ・てつろう)
鹿児島県鹿屋市串良町柳谷自治公民館長/内閣府地域活性化伝道師
鹿児島県串良町(現・鹿屋市)出身。地元の高校卒業後、東京の銀行に就職。1970年に帰郷し、うなぎ養殖を始める。1981年うなぎ専門店「うなぎの川豊」創業。1985年民間主導型村おこしグループ「串良やったる会」結成。1996年「うなぎの川豊」閉店、うなぎのエキス「ヘルプアイ本舗」創設。同年、柳谷自治公民館長就任。以降、集落の再生を目指してアイデアあふれる地域づくりを実行。2007年より「やねだん故郷創世塾」主宰(年2回実施)。著書は「地域再生 ~行政に頼らない「むら」おこし」。

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